はじめに
「今、◯◯が流行ってるよ」
「◯◯知らないの? みんなやってるよ」
新しいトレンド、話題のアニメ、最新のファッションや推し活、
そのどれもが、とてもキラキラして見えるものばかりで、
今はそれらをとても身近に感じられるようになりました。
けれど、そんな日々の中でふと、
こんな気持ちが湧いてくることはないでしょうか。
「知らない自分は、取り残されているのかな」
「楽しめない自分は、おかしいのかな」
共感の輪の中に“ちゃんといること”が、
まるで存在の条件であるかのように扱われ、
なんだか居心地の悪さを感じてしまう。
その空気の中で、自分の本当の気持ちが置き去りになっていないでしょうか。
時代の最先端や流行に乗り遅れたくない気持ちや
誰かと同じ話題で盛り上がれること、
共感し合えることは、とても素晴らしい、楽しい時間でもありますから、
そこに安心や繋がりを感じるのも自然なことです。
好きになるきっかけも案外そうしたものから始まることも多いのですし、
最初は“みんながやってるから”だったとしても、悪いことではありません。
でももし、自分の“内側”と“外側”がずれてしまっているなら、
少し立ち止まってみてほしいのです。
共感出来ないことを、恐れなくていい
共感出来ないことや流行りものに興味がない事が、
なんだか“悪いこと”のように扱われる空気って少なからずあると思います。
でも本当は、好きも嫌いも、それぞれの心から生まれる大切な感情です。
ある人は、静かな場所や時間を好み、心地よさを感じたとしても
ある人にとってそれは、とてもさみしいと感じるものかもしれません。
そんなふうに、正反対の感覚が共存しているのが社会の豊かさであり、
他にも様々な価値観が存在するからこそ、
多様なものがうまれていくわけです。
「誰かと違う」ということは、間違いではありませんし、
著しく他者を傷つけたり、尊厳を否定しなければ、
私たちは、当然違っていていいのです。
共感出来ない事も、興味を持てない事も、何もおかしくはありません。
その気持ち自体が“自分”という存在を形づくる、かけがえのない価値観なのですから。
「好き」は、自分の内側からはじまる
“好き”という気持ちは、きっかけはどうあれ、
「自分の心がどう感じているか」を確かめるところから始まります。
そこに「自分なりのときめき」や「自分らしい喜び」が見つかっていれば、
その“好き”は、ちゃんと自分の心のものです。
でももし、
「まわりに合わせるために無理に好きになろうとしていたかもしれない」
「本当は別のものに惹かれていて、選びづらいと感じている」
そんな気持ちがあるのなら、それにちゃんと気づいてあげてください。
私たちは「みんなと同じ」である必要はありません。
「誰も推していないもの」を好きでいてもいいし、
「みんなが好きなもの」に共感できなくてもいい。
“乗らない自由”も、“共感しない自由”も、
心を守るための大切な選択肢だと思います。
心の声を拾いなおす時間を
今日一日を思い返してみてください。
「なんとなく合わせていたな」
「本当は、ちょっとしんどかったな」
そんな瞬間があったら、そっとその場所から離れてみましょう。
そして自分の心に聞いてあげてください。
「本当は何が好き?」
「今、どうしたい?」
その答えと気持に寄り添って、穏やかな時間を過ごしてくださいね。
誰かに共感されるためではなく、
自分の心が求めたものとしっかり向き合うこと、
それが何よりも大切な自分らしさだと思います。
最後に
誰かを、何かを好きになるって素敵なことですが、
その前に、あなた自身がすでにかけがえのない、
尊い存在であることを忘れないでください。
その尊さは、誰かと比べるものではなく、
共感されるかどうかで決まるものでもありません。
あなたという存在が、ただそこにいて、
感じて、迷って、思いを巡らせる。
それだけで、十分に素敵なことなのです。
これから過ごす毎日、誰かの気持ちよりも先に、
あなた自身の気持ちを大切にして、
少しでも自分らしくいられる時間が増えますように。
最後までお読みくださり、ありがとうございました。