Just be yourself

闘病から『静かな活動』へ

自己紹介

はじめに

「なぜ、今そうした活動をされているのですか?」

最近、ありがたいことに、そんなふうに尋ねていただく機会が増えてきました。
家族や友人達からも、同様の質問をされることもありましたので、
この記事では「なぜ、今のような生き方に至ったのか」という
“気持ちと考えの変遷”に焦点を当てて、少し掘り下げて綴ってみたいと思います。

自己紹介や生い立ちの記事と被るところもありますが、ご容赦下さいませ。

心身の崩壊と人生の停止

34歳のある日、私は突然強いパニック発作を起こし、
救急搬送されたその日から、長い闘病生活が始まります。

過労と人間関係の重圧により、恐怖性不安障害と診断され、
それまでの常識が音を立てて崩れていきました。

これまで真面目に働き、努力を重ねてきた日々、
その結果が“これ”だったのかと、自分の人生を否定されたような気持ちになりました。

ですが、そのような状態にあっても、支えてくれた家族や友人達、
とりわけ母の存在が、私をゆっくりと現実に繋ぎとめてくれました。

心が壊れ、体もままならない中で、
ただ「今日を生きる」事に必死だった日々。それが、再出発の原点です。

過去の経験が問い直される中で

過去を振り返ると、私は「自分と向き合う事」「誰かの為に動く事」を大切にしてきたように思いますし、
それが自分にとっての生きがいでもありました。

子どもの頃、小児喘息に苦しみながらも努力を重ね、
逆境にあっても決して諦めず、何事も前向きに取り組む事、人に優しく接する事を芯とし、
学生時代を過ごす中で、多少は誰かに信頼される存在になれているのかも、という自負もありました。

しかし、社会に出てからは、その思いも努力も報われない現実に何度も打ちのめされました。
ブラックな労働環境、心無い言葉、正義や誠意が軽んじられる場面に直面し、
理不尽に耐える事ばかりが積み重なっていったのです。

それでも「いつか報われる」と信じていた自分がいて、
その信念が裏切られた事は、何よりも辛く、強烈な痛みを伴う経験でした。
ただ、この頃から社会の中にある“目に見えにくい歪み”に気づき始めてもいました。

静かな違和感が確信に変わる

闘病生活に入り、社会から少し距離を取って、人や世の中を見つめるようになった時、
「やっぱり、何かがおかしい」という感覚は確信に変わりました。

人と人とがすれ違い、責任が誰にも帰属しない空気が日常になっている。
便利さや効率を優先するあまり、誰かが犠牲になっている事に無自覚な社会。

私は改めて自分に問いかけました。

「何が問題の本質なのか」

私が出した答え、それは“制度”や“政治”といった外側だけの話ではなく、
人の心の根底にある“価値観の変質”でした。

模索と転換、出来る事を探して

そんな中、私は新たな社会復帰の方向性として、在宅での働き方を模索し始めます。

クラウドソーシングやアフィリエイト、ライティング、
レビュー記事の作成等、出来そうな事は色々と試していきました。

最初はこれなら何とかなるかもしれないと、希望もありましたが、
心身の不調に左右される日々の中、成果主義や競争性の強い仕組みに身を置き続ける事は困難で、
思うように継続出来ず、精神的にも疲弊していきました。

チャレンジと体調の悪化を何度も繰り返す中、
もう一度生き方を見つめ直す為に家族ともしっかりと話し合い、

“無理をせず、毎日を少しでも心穏やかに過ごす”

そういうシンプルな生活にシフトし、リハビリと家事を中心に据え、
体調の快復をはかっていく中で、少しずつ、楽な時間と出来る事が増えていきました。

そしてある時、ふと思いました。

「少し余裕が持てるようになった今、私は今後どんな人生を歩みたいのだろう?」と。

“静かな活動”の選択

その答えは、自分の経験を活かし、小さくとも確実な言葉と行動で、
今の時代に対して、自分なりの支援や提案をしていく事でした。

派手な主張や大きな影響力ではなく、自分が見てきたもの、感じた事を丁寧に言葉にし、
ゆっくり、マイペースで活動をしていく中で、
同じような違和感を抱える誰かの心に、そっと寄り添えたら、そういう気持ちが芽生え始めました。

だから私は今、ブログという小さな場で発信を続け、童話や小説といった創作に想いを込め、
子供達の未来の為の支援や現代における様々な問題に対する政策の提案、
エッセイでの問題提起という形で社会に向けて静かに声を届けてようと思っています。

それは、かつて何度も否定された「自分なりの生き方」を、もう一度信じるための歩みでもあります。

どこまで届くかわからないけれど、たとえお一人にでも、何かが伝わるのなら、
そんな思いで、私はこの道を選びました。

最後に

この記事は、私という一人の人間が「こうありたい」と願い、
模索し続けた結果の一つの“かたち”に過ぎません。

これが正解だとか、誰かにとってのお手本だとか、
そんなふうに受け取ってほしいわけでは決してありません。

ただ、生きづらさや違和感を感じながらも、それでも何かできる事を模索している方が、
ほんの少しでも「自分にも何かあるかもしれない」と、思えるきっかけになれば、それだけで十分です。

この記事をお読みくださっている方の中にも
その方ご自身の小さな願いや在り方がきっとあるはずです。

それを大切に育てながら、どうかご自身の歩みを信じて進んでください。

私もまた、一日一日を丁寧に生きながら、その先に静かに活動を重ねていきます。

ここまでお読みくださり、ありがとうございました。

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